hanatent's つぶやき

ニートが見る世界

音楽ほとんど聴かんから分からんわ

音楽ってあなたにとってどんな存在ですか?


「どんな音楽が好きですか?よく聴きますか?」

最近こういった質問をする機会が割とあって。
こんなにも音楽を聴いていない人が多いなんて。


体感的に40、50歳オーバーの方々は音楽を日常の一部として過ごしてきている確率が高いように感じる。
そして、一つ一つの曲を深くまで聴いてる印象。
音の使い方、歌詞に込められた思い、その曲ができた背景。

今のような手軽さがなかった分、
一つ一つの重みが違うのかもしれない。


そして、今の環境に限った話かもしれないけれど
20、30代の人が音楽に馴染んでないことに驚く。

自分の回りが音楽を愛するレベルで好きな人が多いこと、
また自分にとっても音楽はなくてはならない存在だからかもしれない。
だからこそ素朴な疑問が出てくる。


音楽をほとんど聴かないってどういう状況なんだろう?


単純に音楽を聴いている暇がないくらい忙しいのだろうし
音楽を聴くよりも優先してやるべきこと、やりたいことがあるだけなのだと思うけれど、
それにしても、本当になにも思い当たらないんだろうか。

思い出せない、思い付かないだけで心のなかにはあるんじゃないか、なんて思ってしまうのだけれど
もしかしたらホントに音楽を全く聴かない人がいたりもするのかな。。。

簡単に揺れ動いていたものが落ち着いてきたと感じる瞬間

涙がでない。


今までだったら簡単に溢れてしまっていたものに対して
ちゃんとストッパーができたように感じる。
本来の自分に戻ってきたんだなぁ。

中からこみ上げるものはあるけど
物理的に流れるには至らず。

良い意味で揺れてない。


ここまで来れたのは時間と決意と
周りにいる人と環境のおかげ。


感謝とともに生きていこう。

「だいじょうぶ」とは

後悔するならやめればいいのに。
無意識でも反射的に出る仕組みになっている。


「はい、だいじょうぶです。」


考えから発される言葉というよりは、
そう回答することが正解だと思ってきた節がある。

もちろん実際に問題ないことも多いのだけれど、
そういうことじゃなくて本当にそういう「プログラム」。

今回だってそう。この定型文が脊髄反射で発された瞬間、
秒であ、違うなって思ったよね。
そして徐々にこの違和感が大きなものとなって
小一時間たったところでは、完全に後悔という形態になっていた。


表現したものに対する違和感に鈍感になる癖を身につけた結果の
思わない発言と思わない行動への反動がなくなってきた。

そして、煩わしいと思われないように、手間をかけないように、を選択をする。
自分のことをなかったことにする選択をする。
居なかったことにしよう。


今回の思考につながる発端自体は
めっちゃ小っちゃいことだったけど
(明日お弁当頼みますか、頼みませんか?とかそのレベル)
いろんなことがフラッシュバックして
本来性質上、向いていないであろう「ことなかれ主義」への道に
乗ろうとしちゃてること省みてしまったよね。

そんな訓練いらないんだろうし
やめられたらまたひとつ
肩の力が抜けるんだろうな。

そもそも「大丈夫」ってなんてあいまいで
日本っぽい言葉なんだろう。
エスノーどちらにもとれるし
むしろどちらでもない時にも使える。
その真意をくみ取るにはなかなかな洞察力が必要なんじゃなかろうか。
ことなかれ族の基本装備、「だいじょうぶ」

ただ、自分に正直に生きたら
「だいじょうぶ」っていう言葉の選択はしなくなるかも。

家を探さないとな

春からのお仕事が決まりました。

本格的な社会復帰です。

こんなにも満喫したニートからの卒業であります。

 

 

楽しみ。

 

 

そのためにちと拠点を変えることになり

気に入っているここを離れることになりました。

 

次どこいこう。

 

 

おうち探しというものは

たくさんの要素が絡んでおりますのでね。

そのなかでも、生活していくところを決めるわけですから。

 

なにを大事にしたいかな~。