「だいじょうぶ」とは
後悔するならやめればいいのに。
無意識でも反射的に出る仕組みになっている。
「はい、だいじょうぶです。」
考えから発される言葉というよりは、
そう回答することが正解だと思ってきた節がある。
もちろん実際に問題ないことも多いのだけれど、
そういうことじゃなくて本当にそういう「プログラム」。
今回だってそう。この定型文が脊髄反射で発された瞬間、
秒であ、違うなって思ったよね。
そして徐々にこの違和感が大きなものとなって
小一時間たったところでは、完全に後悔という形態になっていた。
表現したものに対する違和感に鈍感になる癖を身につけた結果の
思わない発言と思わない行動への反動がなくなってきた。
そして、煩わしいと思われないように、手間をかけないように、を選択をする。
自分のことをなかったことにする選択をする。
居なかったことにしよう。
今回の思考につながる発端自体は
めっちゃ小っちゃいことだったけど
(明日お弁当頼みますか、頼みませんか?とかそのレベル)
いろんなことがフラッシュバックして
本来性質上、向いていないであろう「ことなかれ主義」への道に
乗ろうとしちゃてること省みてしまったよね。
そんな訓練いらないんだろうし
やめられたらまたひとつ
肩の力が抜けるんだろうな。
そもそも「大丈夫」ってなんてあいまいで
日本っぽい言葉なんだろう。
イエスノーどちらにもとれるし
むしろどちらでもない時にも使える。
その真意をくみ取るにはなかなかな洞察力が必要なんじゃなかろうか。
ことなかれ族の基本装備、「だいじょうぶ」
ただ、自分に正直に生きたら
「だいじょうぶ」っていう言葉の選択はしなくなるかも。