hanatent's つぶやき

ニートが見る世界

学生時代に闘っていたこと

思い出した。


ひっさしぶりに
長時間の筆記の問題に取り組んでみたら
途中からまさかの怒濤の眠気が。

ねっむ!

2時間のうち前半がどれだけ眠かったか。。。
一蹴して、眠気のとんだ後半。
頭が冴えるぜ!!!
見直しで直した回答数知れず。
こんな現状。


そういえば、学生時代、
授業はもちろんのこと
テストの時でさえ
眠気と闘っていたなぁ。

とにかくずっと眠かった。
なんであんなに毎日
一分一秒が眠かったんだろう。

しまいには
眠気に打ち勝つためと言って
食パンむさぼったりしてた夜中。
向き合う勉学は進まなかったなー。


そんなことを鮮明に思い出してしまった。

ある意味まだまだ現役でした。

「今日」という日は今日しかない

同じ日は一日もない。

 

昨日がどんな一日だったとしても今日はやってくる。

今日がどんな一日だったとしても明日はやってくる。

 

そうやって毎日が積み重ねられて

自分の人生ができていくんだなと思うと、

今この一瞬の勇気を出してみようかなっていう気持ちになる。

 

小さくても

ちょっといつもと違うことをたくさん経験して

引き出しを増やしたい。

 

今日はどんな一日になるかな。

どんな一日にしようかな。

予想しないことが予想しないタイミングで起こる可能性

つまりは、まったく頭の中になかった出来事が起こってしまう可能性。

 

 

昨日まで普通に居た
身近な人が急にいなくなってしまう
そんなこと誰が想像できるだろうか。


去年の暮れに
友人の家族が急に亡くなっていたことを知った。
コロナの影響。

家業も続かなくなり
友人は急に
愛すべき家族の死と
経済の不安を受け入れなければならなくなった。


経済的な問題で影響を受けている人はいても
健康面で何かあった人が本当の身近にいなかった分
親しい友人の家族の死というのは
ニュースで聞くものよりも
心が痛むものだった。


予兆もなくやってくる。
そんなものがあるなんて

想像できにくいけど
想像はできるし

できることはやっておこう。
そう思える機会ではあった。

 

それに、人も物も場所もそうだけど
今ある環境に感謝して過ごしたいと思うには
十分なキッカケをもらったな。

残酷な行事ではない

え、それ子供にやらせていいの?

 

天井からつるした馬の人形を
目隠しした子供が棒で激しく叩いていて
周りの子供たちが歓声を上げて応援してるという
何とも恐ろしく感じる図を目にしてしまった。

なんですかこれは?

 

 

ピニャータ」というものをご存じだろうか?


メキシコや中南米でのお誕生日やハロウィンで
伝統的に行われている一行事。
天井からつられたピニャータ(動物やくす玉を形どった容器)を
棒でたたき割って
割られたなかにお菓子やらおもちゃやらなんやらが入っているから
割るとそれが降ってきて
みんなで山分けっ!てことみたい。


起源は諸説あり。
中国からもってこられて、豊作を願うお供えのようなものが始まりで
イタリアに伝わった時「土鍋」の意味をもつ「pignatta(ピグナッタ)」と呼ばれ
それがなまってメキシコに伝わって発展したとかしないとか。
もともとメキシコにも同じような文化があったみたいだけど。

そして、たたき割る物のフォルムは別に馬でなくてもいいし
動物でもいいし花でもくす玉でも何でもいいらしい。

 

ただ初見では、綺麗なお馬さんだったもので。
あまりに衝撃的だったから
文化的なものであることを尊重し納得できるように
これはきっと悪魔に見立てて
邪気的なものを払う行為なんだろうなと
仮説を立てていたのだけれど

 

馬じゃなくていいのね。
なんでもいいならなぜ馬にした、、、
気になる。
調べれば出てくるのかな?


伝統的な行事であることは変わりないのだけれど、
今や宗教的な意味もほとんどなくなり、
人気のパーリーゲームとしての位置づけが一般的な模様。


まぁでも大事なのはその土地の文化はその土地の文化として大事にすることなのかも。
もう宗教的な意味もないみたいだけど。
仮に意味があったとしても無邪気な子供たちにはわかるのかしら。

 

「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」


ほうほう。
なんにでも通ずる話ですね。